「妊娠すると、おなかの赤ちゃんにカルシウムをとられてむし歯になる」という話をよく耳にしますが、これは事実ではありません。赤ちゃんの骨や歯を作るためのミネラルが、お母さんの歯から溶け出すことなど決してないのです。
それにも関わらず、昔から「一子産むたび歯を一本失う」とされ、事実、妊婦に歯や歯ぐきのトラブルが多いようです。理由は、「妊娠時、お口の中はバランスを崩しやすい」にある通り、幾つもの悪条件が重なり、むし歯や歯周病のリスクが高くなっているからです。
さて、ここでは、妊婦の歯や歯ぐきにどのようなトラブルが起きるのかを、赤ちゃんに及ぼす悪影響も含めて解説します。
妊娠初期には、むし歯でもない歯に鋭い痛みを感じる人がいます。これは“妊娠性歯痛”と呼ばれる現象です。
妊娠中は神経が過敏になり、歯周組織の知覚を過敏にして、わずかな刺激でも大きな痛みを感じる場合があるのです。そのため、食べ物を噛んだり歯みがきをするだけで、健康な歯にも痛みを感じます。通常、妊娠5~6ヶ月ぐらいで痛みを感じなくなることが多いようです。
むし歯は、むし歯菌が食べカスを分解して酸を作り、歯の表面を溶かしてしまう病気です。片や唾液は、菌が作りだす酸を中和して、歯にミネラルが再び取り込まれるのを助けています。
妊娠中には、「つわりによる口腔清掃の不良」、「食べ物の好みの変化や間食の増加」、「唾液(だえき)の量や性状の変化」などが災いして、むし歯のリスクが高まります。
歯の汚れを放置すると、細菌の塊であるプラーク(歯垢)が大量に付着して、歯ぐきが腫れたり出血したりします(歯肉炎)。
妊婦のお口の中では、「口腔清掃不良」「間食」「唾液の減少」などによって細菌の増殖しやすい条件が揃い、比較的容易に歯肉炎を起こします(妊娠性歯肉炎)。
加えて、妊娠中は女性ホルモンの分泌量が増すことで、歯ぐきの血管の透過性(詳しくは「妊娠時、お口の中はバランスを崩しやすい」参照)が高まっており、わずかな炎症でも歯ぐきの腫れや出血を起こしやすい状態となっています。
妊娠による生活習慣の変化でオーラルケアが疎かになり、お口の中がいつも汚れて細菌が繁殖しやすい状態だったり、食の好みが変わって偏食がちとなったりして栄養バランスを崩すと、口内炎を起こしやすくなります。
口臭は、口腔内に生息する細菌が産生する臭いと、胃などから来る臭いが混じりあったものです。妊娠中は、口腔内細菌が容易に繁殖しやすく、歯肉炎の増悪に伴って細菌由来の臭いが強くなります。
また、つわりによる嘔吐で胃酸が逆流しやすく、これも口臭を強める原因となります。
エプーリスとは、歯ぐきに出来る良性のこぶのことを指し、別名を歯肉腫とも呼びます。上顎前歯のくちびる側の歯ぐきに生じることが多く、発育は緩徐ですが、放置すると大きくなります。症状は、一般的に痛みも無く、腫れているだけで無害です。
発生する頻度は極めて低いのですが、医師の診断を受けて、悪性の腫瘍ではないことを確かめておくことが大切です。20歳代から50歳代の女性にみられる傾向が強く、妊娠中にもできやすく、これを妊娠性エプーリスと呼びます。妊娠中のエプーリスは分娩後に小さくなるか消失するので、経過をみてから処置をしたほうが良いでしょう。
1996年、アメリカの研究グループによって、「妊婦の歯周病は、早産・低体重児出産のリスクを高くする」といった衝撃的な調査結果が発表されました。彼らの調査によれば、重度の歯周病を持つ妊婦では、一般の妊婦に比べて、早産・低体重児出産のリスクが7.5倍にも増加していたのです。
このことは、産婦人科医師の注目を集め、世界各国および日本でも調査が行われた結果、歯周病が早産・低体重児出産と関係することは、ほぼ間違いのない事実だと確認されました。では、なぜ歯周病と早産・低体重児出産とが関係するのでしょうか。その理由は“炎症”に隠されています。
歯と歯ぐきの間にある隙間を歯周ポケットと呼びますが、口腔内の全ての歯周ポケットを面積として合計すれば、手の平ほどの広さになると言われます。この広さに重度の炎症が起きたなら、その影響は全身にもおよびます。血中で上昇した炎症性の物質が、分娩時期よりも以前に子宮を収縮させるなどして、早産・低体重児出産につながるのではないかと考えられています。