現在では当たり前になっている「歯みがき」の習慣ですが、みなさんはそのはじまりを知っていますか?「いつから始めたの?何でみがいていたの?」など、気になる疑問を解決するため、横浜にある「神奈川県歯科医師会・歯の博物館」を訪問取材!歯みがきの起源から、現在のようなハブラシ・ハミガキ粉を使った歯みがき習慣が当たり前になるまでの歴史を、詳しく教えてもらいました!
神奈川県歯科医師会・歯の博物館 館内
さまざまな時代のポスターや看板
今回取材に協力していただいたのは、横浜にある「神奈川県歯科医師会・歯の博物館」です。横浜は、1865年に来日したアメリカの歯科医イーストレーキが横浜居留地で歯科医院を開業したことをきっかけに、日本の近代歯科医療の発祥の地として知られています。
歯みがきの歴史に詳しい大野館長によれば、人類が歯みがきを始めたのは、火を使う加熱調理と深い関係があるのだといいます。
大野館長
「食べ物に火を通すようになったことで、でんぷん質が多く粘り気のあるものを口に入れる機会が増えました。野生動物が食べるような生の食材に比べ、加熱調理した食材では歯の表面に食べかすが残りやすくなったために、歯みがきを始めたという説があるんです。たとえば日本の場合、縄文後期~弥生時代の遺跡から発掘された頭蓋骨の歯の表面に、歯みがきをしていたのでは? と推測される木の繊維の痕跡が残っていたと、考古学者が述べています」(大野館長)
世界の歴史を調べても、パンを食べていたという古代エジプト時代(紀元前3,000年頃~紀元前30年頃)の遺跡から、歯みがきに使われていたと考えられる爪楊枝のような形状の物体が発掘されているそう。今も昔も、「食事の後には歯をみがきたくなる」のは同じなんですね。
このように、かなり大昔から行われていた歯みがき。それが「良い習慣」として人々の間に広まったのは、仏教やイスラム教といった世界的な宗教の普及が大きな要因ともいわれています。
「仏教の開祖である釈迦の言葉をまとめた経典には、『歯木(しぼく)』を使い、毎朝起床時に歯みがきすることを推奨する記述が複数見つかります。禊として読経の前に口中を清めることが主な目的ですが、そのほかにも『口臭をなくす』『食べ物の味が良くなる』など、現代にも通じる歯みがきの効能が、釈迦の言葉で説かれているのです」(大野館長)
各国の歯木。国によって様々な木を使っている。右二つは舌こき用に樹皮を裂いたもの【大野館長蔵】
「歯木」とは、木の棒の先を噛んで繊維を房状にすることで歯を掃除する、現在のハブラシの先祖とされる道具のこと。実は宗教用品として今でも現役で使用されており、熱心なイスラム教信者の中には、コーランを唱える前に歯木(「ミスワク」と呼ばれる)を使い、歯や舌を清める人もいるそう。舌みがきの習慣が古くからあったことも意外ですね!
現在のイスラム圏内で販売されている歯木(「ミスワク」)【大野館長蔵】
宗教儀礼の一種として普及したと考えられている歯みがき。日本では、中国・朝鮮半島経由で仏教が伝来した6世紀頃(飛鳥時代)から、僧侶や公家など上流階級を中心に、歯木を使う歯みがきの習慣が定着していきました。
「ここでおもしろいのが、日本に仏教を伝えた中国では、早い段階で現在の形状に近いハブラシを発明していたことです。たとえば遼の時代(916年~1125年)の豪族(馬王堆)の墓から、現在とほぼ変わらない形をした骨のハブラシの柄が発掘されています。この形状のハブラシは、後にシルクルード経由で西洋に伝わっていったのですが、なぜか日本では普及しませんでした。たとえば鎌倉時代(1185年~1333年)の曹洞宗の開祖である道元禅師が当時の中国(宋)に渡った際、歯木を使わずハブラシの元祖の道具で歯みがきする、現地のお坊さんの姿を見て嘆いたという記録が残されています」(大野館長)
歯木から歯ブラシまでの進化【大野館長蔵】
仏教の伝来とともに上流階級の間で広まった日本の歯みがき習慣が、庶民の間でも普及するようになるのは、江戸時代初期(1624年~1704年)のこと。普及のきっかけとなったのは、日本独自の歯みがきの道具「房楊枝(ふさようじ)」の登場でした。
江戸時代の色々な房楊枝。絵の部分は舌こき用に加工されているものが多い【大野館長蔵】
「歯木の進化系ともいえる房楊枝は、江戸時代初期に京都の『さるや』の職人が考案して発売されたものです。それが江戸に伝わり大流行し、庶民も房楊枝を使い歯みがきするようになりました。さらに、参勤交代で江戸に来ていた各地の武士がお土産として房楊枝を故郷に持ち帰り、全国に広まっていったのです」(大野館長)
また、房楊枝やハミガキ粉の普及とほぼ同時期に、ハミガキ粉も大きな進化を遂げたのだとか。
「江戸時代以前から、焼いた塩や炒った米ぬかをハミガキ粉のように使っていましたが、現代に通じるハミガキ粉が登場するのは寛永20年(1643年)のことです。朝鮮半島から来た商人から伝わった製法を用い、丁字屋喜佐衛門という商人が売り出しました。このハミガキ粉には、歯を白くする研磨成分や薬効成分が含まれており大評判となりました。文化・文政時代(1800年代初期)には、100種類以上のハミガキ粉が発売されていたという記録からも、ハミガキ粉の人気が高かったことが伺えます」(大野館長)
紙のパッケージに入った江戸時代のハミガキ粉【大野館長蔵】
江戸時代のハミガキ粉(紅でピンク色に染めてある)【大野館長蔵】
ちなみにハミガキ粉を使った歯みがきが、江戸の町人たちの間で流行した一番の理由は「おしゃれ」のためだったのだとか。
「いわゆる“江戸っ子”たちは、女性にモテるために歯の白さを競いあっていました。また、浮世絵に描かれた姿から、タレント的な人気を誇っていた当時の遊女たちが、手鏡を見ながら房楊枝を使いせっせと歯みがきをしていたこともわかります。ハミガキ粉を使わず黄色い歯をしている人を“田舎者”として嘲る風潮もあったようです」(大野館長)
朝起きて房楊枝を使う女性の様子【歯の博物館蔵】
現在でも美白効果が期待されるオーラルケア用品が人気となっていることを考えれば、歯みがきで「キレイな歯を手に入れたい」という思いは、今も昔もあまり変わらないのかもしれませんね。
先ほども紹介したように、ハブラシは1000年頃の中国ですでに発明されていましたが、中々日本では普及しませんでした。日本で国産のハブラシが広まったのは、文明開化が始まった明治初期。それまではシルクロード経由で伝わった西洋から、遠回りをしてハブラシが輸入されていました。
最初は西洋からの輸入品でしたが、鯨のヒゲでつくった柄に馬の毛を植えた、“鯨楊枝”が明治5年(1872)に大阪で発売されたことを機に、竹製、動物の骨製の柄にブタ毛を植えた国産のハブラシも徐々に増えていきました。
明治時代~昭和時代のハブラシ。木や竹、骨、セルロイド製の柄に動物の毛が付けられている。舌こき用に加工が工夫されたものもある。【大野館長蔵】
「とはいえ日本の場合は、房楊枝の歴史が長かったこともあり、西洋からやってきたハブラシが庶民の間で使われ出すのは、明治の終わりごろからといわれています。『ハブラシ』という呼び名が一般的になったのは、大正3年(1914)に現在のライオンから発売された『万歳歯刷子(ばんざいはぶらし)』がきっかけです。ちなみに、柄がセルロイド製の世界初のハブラシが登場するのは大正期のこと。大正7~8年頃、日本は歯ブラシの輸出国となりました」(大野館長)
一方、現在使われているものに近いチューブ入りの練りハミガキが登場するのも、明治中期以降のこと。明治21年(1888)に資生堂薬局(現在の資生堂)から発売された「福原衛生歯磨石鹸」が、日本産練りハミガキの元祖だといいます。
「初期の固練り(半練りともいう)ハミガキ粉は、コンパクトなダンボール紙のような容器で売られていました。現在のようにチューブ入りの練りハミガキが発売されるのは、大正時代に入ってからのことです」(大野館長)
明治時代の練りハミガキの容器【歯の博物館蔵】
チューブ入りの練りハミガキの試作品【歯の博物館蔵】
「明治44年5月にライオンチューブ入煉歯磨(小林商店)が発売されましたが、錫製のチューブはドイツより輸入していました。その後、大正5年に福原衛生歯磨(チューブ入煉歯磨)が資生堂から発売されましたが、チューブ入煉歯磨は、明治44年のライオンに次ぐ2番目のものでした」(大野館長)
とはいえ粉状のハミガキ粉も、昭和30年代頃までは使われていたとのこと。そういえば、今でも「ハミガキ粉」という言葉が残っていますよね。
加熱調理の歴史とともに生まれ、宗教儀礼の一種として広まり、そして江戸時代にはおしゃれの一環として流行したという、日本の歯みがき習慣。しかし、現在では当たり前になっている「食べたらみがく」という歯みがき習慣が一般的になるのは、意外に最近のことなのだといいます。
「仏教で推奨され、身を清める禊として伝わった歯みがき習慣の影響もあり、近代歯科医療が日本に伝わった明治以降も、庶民の間では毎朝1回、しかも朝食前にみがくのが一般的でした。昭和に入ると“強い国民”を育てるための啓蒙運動として『むし歯予防デー(6月4日)』が制定されるなど、国を挙げて歯みがき習慣の改善が推進されましたが、朝1回のみの歯みがき習慣は、第二次世界大戦後も根強く残ったのです」(大野館長)
もちろん第二次世界大戦後も、日本人の歯みがき習慣を改善する取り組みは、官民問わず盛んに行なわれました。その一例が、昭和21年(1946)に発売された「サンスター歯磨」です。実は現在の社名にもなっている「サンスター」には、「太陽(サン)が上る朝と星(スター)の出る夜に歯をみがこう」というメッセージがこめられていました。このことからも「夜の歯みがき」が、まだ一般的ではなかったことが伺えます。
1946年に発売されたチューブ入り「サンスター歯磨」第1号
では、どのように日本人の歯みがき習慣が変わっていったのでしょうか。
「日本人の歯みがき習慣に大きな改善がみられるようになったのは、高度経済成長期にあたる1960年代以降のことでした。経済的に豊かになり食事の質が向上したほか、甘いお菓子を食べる機会も増えたため、子どものむし歯患者急増(むし歯の洪水と呼ばれた)が深刻な社会問題となったことがきっかけです。そこから、子どものむし歯予防を中心とする歯みがき習慣の改善を促す歯科医師会やハミガキ粉の会社による口腔衛生運動が、より一層盛んになっていきました」(大野館長)
たとえば、戦前に生まれた「むし歯予防デー」の後継にあたる「歯の衛生週間(6月4日~10日)」で、70年代初頭に配布されたポスターには「食事がすんだらすぐ歯をみがこう!」という標語が書かれています。また、当時人気があったアニメのキャラクターを採用した、子ども用の練りハミガキが発売されるなど、メーカーも子どもたちの歯みがき習慣改善に貢献しました。
1970年台初頭の「歯の衛生週間」ポスター【歯の博物館蔵】
(上段左から3番目)子ども用ハミガキ粉。サンスターのペンギンマークに見覚えがある方もいらっしゃるのでは?【歯の博物館蔵】
その甲斐あって70年代頃からは、子どもたちを含む日本人の歯みがきに対する意識は、かなり改善されます。それに応じてハブラシの種類も多様化。また塩入りの薬用ハミガキのように、歯や歯ぐきの健康を守る機能を持つ練りハミガキが続々と登場するようになります。
1968年に発売された塩入りハミガキ粉「SALT」
さらに1980年代後半に入ると、「歯周病」のリスクも広く知られるようになりました。歯間ブラシやデンタルフロスといったオーラルケア用品が普及するのも、この時期からです。
1989年に発売された、“歯周病菌とたたかう”がコンセプトの「G・U・M」シリーズ
クラブサンスター読者の皆さまにはお馴染みの「G・U・M」シリーズが登場するのもこの時期です。また、1989年には当時の厚生省と日本歯科医師会から「8020運動」が提唱され、より国民のオーラルケアへの関心が高まっていきます。
その後1990年代からは、むし歯・歯周病のほかにも美白や知覚過敏、口臭などオーラルケアのカテゴリーが多様化していきます。今ではステインケアのイメージが強い「オーラツー」も、1998年に発売されました。
1998年に発売された歯垢を吸着除去するハミガキ粉「Ora2」
現在では、歯だけでなく舌や歯ぐきなど、お口の中全体をケアできる“オーラルケアアイテム”が多種多様に登場しており、一人ひとりの悩みにあったものを選べるようになりました。木の枝から始まった歯みがきの文化が、こんなにも進化を遂げているとは、あらためて驚きですよね。
「最近のトレンドとして興味深いのが、環境に配慮し脱プラスチックとして木製柄・竹製柄のハブラシが再び登場していることです。また、明治時代で一度途絶えた舌みがきの習慣が、口臭予防などの観点から日本人の間で復活しつつあることもおもしろいですね。特に泡で歯や舌をキレイにできるアイテムは、歯みがきが難しいシニア層のオーラルケアにも役立っています。少子高齢化の時代を迎えたことで、介護向けのオーラルケア用品は、今後も増えていくのではないでしょうか」(大野館長)
時代のニーズに応じて進化を続ける歯みがきやオーラルケア用品の世界。その歴史を知れば、毎日の歯みがきに対する意識が少し変わるかもしれませんね。
教えてくれた人